アッシジ2011年


世界平和と正義のための考察、対話、祈りの日


アッシジ20111027

サンタ・マリア・デリ・アンジェリ大聖堂

 教皇ベネディクト十六世の講話


親愛なる兄弟姉妹の皆様 
 諸教会、教会共同体、世界の諸宗教の代表者の皆様 
 
親愛なる友人の皆様 

  

    福者ヨハネ・パウロ二世が初めて平和の祈りのために世界の宗教の代表者をアッシジに招いてから25年が経ちました。それ以来、何が起きたでしょうか。現代の平和に関する状況はどうなっているでしょうか。25年前当時の世界平和にとっての大きな脅威は、世界が対立する二つの陣営に分裂していることから生じていました。この分裂の目に見える象徴はベルリンの壁でした。ベルリンの壁は、ベルリンの町の中心を通って、二つの世界の境界線を引いていたのです。

 アッシジ集会の3年後の1989年、壁は、だれも血を流さずに倒れました。突然、壁の向こう側にあった武器庫は意味をもたなくなりました。武器庫は人々を脅かす力を失いました。人々の自由への望みは、暴力の武器庫よりも強かったのです。この転換の理由に関する問いは複雑で、一言でそれにこたえることはできません。しかし、経済的・政治的な要素と並んで、この出来事のもっとも深い原因は精神的な性格を帯びています。物質的な権力の裏には、精神的な確信がまったく存在しなかったのです。究極的に、自由への望みは、暴力への恐れよりも強かったのです。暴力にはいかなる精神的な保証もなくなったからです。わたしたちはこの自由の勝利に感謝したいと思います。自由の勝利は、何よりもまず、平和の勝利でもあったからです。付け加えていわなければならないことがあります。このことに関連して、たとえそれも含まれていたにせよ、問題は単に、またおそらくは第一義的に、信教の自由だけではありませんでした。それゆえわたしたちは、ある意味でこれらすべてのことを平和の祈りと結びつけることができます。

 しかし、続けて何が起きたでしょうか。残念ながら、それからの状況が自由と平和によって特徴づけられるということはできません。たとえ大戦争の脅威が目前にないとしても、残念ながら世界は不和に満ちています。単に戦争が繰り返し起きているだけではありません。暴力そのものが潜在的に常に存在し、現代世界の状況を特徴づけているのです。自由は偉大な善です。しかし、自由な世界はその大部分が方向づけを欠いています。そして、少なからぬ人々にとって、自由は暴力を行う自由にもなっています。不和は新たな恐ろしい姿をとっています。それゆえ、自由のための戦いが新たな形でわたしたち皆を駆り立てなければなりません。  
 暴力と不和の新たな姿をもっと詳しく吟味し、その本質を明らかにしてみたいと思います。[...]

続き

http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message658.htm